ローズマリー・ケネディ

実際に、ロボトミー手術を受けた人を例に見てみたいとおもいます。

ローズマリーは当時、知的障害とされていたようですが、現代から見れば、感受性の強い思春期ゆえの、こじれが長引いた、もしくはADHDあたりの疾患に過ぎなかったんじゃないかとも推測されています。しかし、ノーベル賞をとるほどの画期的な治療法だとすすめられれば、疑いなく受けさせるのでしょう。その疑いをもたず、わが子を犠牲に。たとえそのつもりはなかったにしても、少々、父親の人格を疑ってしまうのは、当時もささやかれていた「呪われた家系」の言われがどうしてもつきまとうケネディ家。なわけで。しかしその後、父は娘ローズマリーの病状はむしろ悪化したという現状を懸命に訴え、父自身が徹底的にロボトミー手術について調べ、中止すように要請したという話もあります。結果的にこのようなことがなければ、いまだロボトミー手術は行われているかもしれない。。。なんとも呪われたエピソードであります。

ローズ・マリー・“ローズマリー”・ケネディ(Rose Marie “Rosemary” Kennedy, 1918年9月13日…2005年1月7日)は、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの妹。23歳のときにロボトミー手術を受け、知的障害の後遺症を負った。

プロフィール

ローズマリーはジョセフ・P・ケネディ・シニアとローズ・フィッツジェラルド・ケネディの長女としてマサチューセッツ州ブルックリンの両親宅で誕生した。本名は「ローズ」がファーストネームで「マリー」がミドルネーム (Rose Marie) だが、一般には「ローズマリー」(Rosemarie) の名で知られる。ただし親族や友人からは「ローズ」の短縮形で「ロージー」と呼ばれた。

彼女は知能テストの結果が低く、非常におとなしい子供だったと言われている。しかしこのことについては異論も存在する[要出典]。1980年代に出版された彼女の少女時代(1930年代末)の日記には、オペラやダンス、またおしゃれに夢中だった日々が描かれている。また、彼女の父がアメリカ駐英大使だったことから、ジョージ6世国王とエリザベス王妃に拝謁したこともあった。

幼年時代はおとなしく従順な少女だったが、成長するにつれて自己主張の強い性格になっていく。伝えるところでは、彼女は時に暴力的な不機嫌に陥りがちだったという。この原因として、高い能力が期待された兄弟たちについてゆく困難さ、あるいは思春期特有のホルモン過多が指摘されている。いずれにせよ、しばしば荒れ狂うローズマリーの扱いに家族は手を焼いた。彼女は教育と療養のため女子修道院に入れられたが、夜な夜なそこから抜け出すようになった。

ロボトミー手術

1941年、医師の勧めによって父ジョセフは23歳のローズマリーにロボトミー手術を受けさせる。これによって彼女の暴力性が治まると考えてのことだった。しかし、前頭部の左右の神経線維を切断されたローズマリーは、期待された結果の代わりに尿失禁の後遺症が残り、幼児的な性格へ戻ってしまった。彼女は何時間もぼんやりと壁を見つめ続けたり、話すことが支離滅裂になったりして、その人格が破壊されてしまった。

手術後

1949年、ローズマリーはウィスコンシン州ジェファソンにある障害者施設、St. Coletta's Institute for Backward Childrenに入所することになる。彼女はケネディ家からは距離を置かれ、定期的に母ローズと妹のユーニスが彼女を見舞ったものの、孤独な生活を送った。父ジョセフに至っては、一度たりとも彼女のもとに見舞うことはなかった。ローズマリーは時折フロリダやワシントンD.C.で静養し、また幼年期をすごしたケープ・コッドの家を訪れることもあった。

死去

ローズマリーは2005年1月7日、ウィスコンシン州フォート・アトキンソンのFort Memorial Hospitalにて、妹ジーンと弟テッドに見守られ、86歳で死去した。彼女はケネディ兄弟のなかでは5番目の死だったが、暗殺や事故死などではない自然死だったのは彼女が最初だった。遺骸はマサチューセッツ州ブルックリンのハリウッド墓地に葬られたことが指摘されているが、同墓地はこの件に関しては一切言及していない。